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育児で大事なのは保育の質・・・三歳児神話 2

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 3歳児神話を検証する2~育児の現場から~ 恵泉女学園大学教授 大日向 雅美氏(日本赤ちゃん学会・・チャイルド・リサーチ・ネットより抜粋しました。



「3歳児神話とは‘3歳までは母親が子育てに専念すべきだ’という考え方だとのご紹介が既にありましたが、内容的には次の三つの要素から成り立っていると私は考えております。



 まず第1の要素は、子どもの成長にとって3歳までが非常に大切だという考え方。

 第2の要素は、その大切な時期だからこそ、生来的に育児の適性を持った母親が養育に専念しなければならないという考え方。

 そして第3の要素は、もし母親が働く等の理由で、子どもが3歳まで、あるいは就学前ぐらいまでの時期を育児に専念しないと、子どもはとても寂しい思いをして、将来にわたって成長にゆがみをもたらすという考え方、です。



 さて、心理学の観点から考えると、こうした要素から成る考え方は果たして神話か否かということですが、答えはイエスでもあり、ノーでもあると私は考えております。



 まず、第1点の幼少期の大切さですが、これは否定してはならないと思います。



 しかし、なぜ幼少期が大事かについても同時に考える必要があります。幼少期の課題は愛を知ることです。人から愛されて、他者を信頼する心を育みます。また他者から愛されて、自信を持つことができます。 

 そして、それほど大切な愛とはいったいどのようなものかを考えてみると、3歳児神話の第2の要素である‘育児の適性は女性が生来的に持っているのだから、母親が育児に専念しなければならない’という考え方には、必ずしも絶対的な根拠はないといえます。

 なぜなら幼少期に注がれるべき愛情は、適切かつ応答的な情報であり、それは母親だけが担えるものとは限らないからです。養育行動を想像していただければおわかりのように、子どもを抱き、笑顔であやし、食事を与えるという養育者の行動は、いずれも触覚、視覚、聴覚、味覚等の情報として子どもにキャッチされています。もっともいくら情報といっても一方的に与えればいいのではなく、子どもの状態に併せて応答的に与えられることが大切ですし、しかも、そこには子どもを愛おしく思い、子どもが育つ力を精一杯支援しようという責任感に裏付けられた温かな思いやりが込められている必要があることは言うまでもありません。



 こうした愛情を注げるように母親も努力することは無論、必要です。しかし、母親以外の人、父親や祖父母、保育者や地域の人々もこうした愛を子どもに注ぐことは可能ですし、現に多くの人々がそうした養育行動を発揮しています。逆に母親であっても、置かれている生活環境が厳しい等の原因があって、苛立ちやストレスを強めてしまう結果、子どもに適切な愛情を注げない事例は少なくありません。



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Only one   (* ̄ー ̄)

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2006年05月06日(土) 09:50

   Only one ~他人と違う自分~ 



 3歳位になると、友達と遊ぶ事を楽しめるようになります。 

 しかし同時に、他人と自分を比べて、「なぜ違うのか」と疑問に思うようにもなります。  

子供の身近にも、身長が低い・太っている・天然パーマの髪・母子家庭・父子家庭・我が家のように外国籍の親を持つなど、劣等感を持ちやすい‘違い’があります。

 

 そんな時は、胸をはって堂々となぜ違うのかを答えてやって下さい。父親・母親の自信ある何事にもゆるぎない態度を見せてあげてほしいと思います。



  『五体不満足』という本があります。                 

 先天奇形の体で身体肢障害者として産まれた息子を、この母親は「かわいい」と感じ、たくさんの愛情をそそいで、健全な精神と社会的に自立する力を備えた息子に育て上げました。このご両親を私は尊敬します。もし自分がその立場だったら・・と想像すると、その現実を受け入れられるようになるまでに、時間がかかるような気がします。

 

 現代は、超音波診断装置があるので、妊娠の中期になればある程度の奇形は発見されるようになりました。大学病院であれば、かなり細部までチェックする事ができます。発見した時期が早くて、その奇形を親が受け入れられない状態であれば、子供としてこの世に誕生することはありません。身体に大きな奇形として表れにくい染色体異常であっても、妊娠初期に羊水検査を行えば、発見する事ができます。

 

 友達との違いを語るのに、先天奇形は極端な話です。しかし傍から見ればたいした事ではないと思える事でも、子供が劣等感を持ってしまったら、それはたいした事では済まなくなります。この本の著者の母親のように、「違いは‘個性’」と前向きな姿勢を持ちましょう。親の姿勢次第で、どんな状況・環境であっても子供は健全に育つのだと思います。 



 今日TVで、片足が足首の所から下が成長せずに産まれ、それでもそのハンデを克服して義足で上手にサッカーをしている男の子を見ました。その子が産まれた時、母親はショックでなるべく足を見ないようにしていたそうです。しかし祖母が母親に言ったそうです。「子供の足をガーゼで隠して育てる事はしない事。ご近所の皆さんにもこのような足の子供が産まれた事をちゃんと話して育てなさい。そうしないと子供がかわいそうだから。」と。母親は祖母の言う事を守って育てたそうです。ここまで育つまでには色々な葛藤もあったと思います。でもサッカーをやる事で乗り越えられているようでした。祖母の一言は、母と子供の心を救ったように思います。残念ながら癌でお亡くなりになったそうですが、すばらしい方であったと思います。   (2006年10月26日)



 「負う」ということ  by『育てるものの目』津守房江著 婦人の友社



 津守氏は、子育ての傍ら障害児施設で働いていたことがあるようです。その時のエピソードがここに書いてあります。



 聖書に「すべて重荷を背負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ伝11章)」という言葉があるそうです。彼女はある時「休ませてあげよう」の意味が、「荷をおろして休むという意味ではない」事に気づいたそうです。「ではどうやって荷をおろさずに休むことが出来るのだろうか。それについては、共に重荷を背負って下さる方があるから、休みが与えられるといわれている」のだそうです。  以下本文より

 

 障害児のグループで、私は歩けない3歳の女の子と、その母親と1年半付き合ってきた。女の子が母親から離れないので、保育室にいてもらったが、母親は、時々女の子を見ないで遠くを見るような、屈託のある表情になった。女の子は遊びながらでも、その表情にぶつかると、泣き声を出して母親の方へ行った。母親が、「ちょっとこの子から離れて、コーヒーの1杯でも飲みたいと思う」と言われるのに、私も全く同感した。何とかして母親に控え室へ行って、くつろいだ時を持ってもらいたいと思った。

 ある日母親が保育室から出て、女の子と私は2人で過ごした。母親がなかなか戻ってこないのを知ると泣き出した。私はこの子をおぶって長い時間、庭を散歩した。泣きながら寝入ってしまった時、母親は戻って来て、私からこの子を抱き取ると「ママは意地悪するつもりじゃなかったのよ」と言った。それから私に、「きっと私が必要なのでしょう」と言われた。自らこの子を背負って行く気持ちが感じられ嬉しかった。

 この頃から女の子の気難しさも少なくなって、楽しみな存在になってきた。この子の状況がよくなった訳ではないのに、楽しく過ごせるようになってきた事が不思議であった。幼いながら重荷を背負った子は、母親がその子を受け入れ、共に生きて行こうとする時、明るく生き生きとしてくるのである。

 自分に与えられた荷をおろしてしまうのではなくて、イエス様が一緒に背負って下さろうという事は、何と大きな慰めであろう。そして本当の意味で教育的な事だと思う。



2007年09月11日追記

息子の自然体験

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2007年9月追記

 昨年の夏休みは、子供たち4人が祖母に連れられて田舎に行き、次女三女が蜂に刺されるというハプニングがありましたが、今年は下3人が行き、何事もなく過ごしてきました。



 今年は、小学4年の夏休みの課題に星の観察があったので、田舎で過ごせて良かったです。夏の大三角形や流れ星を見ることができたようです。通信教育チャレンジについてきた星の観察教材が役に立ちました(円盤になっていて日にちと時間を合わせるとその時見えるはずの星座が分かるもの)。

 

 流れ星を初めて見た三女は「速すぎて願い事なんか言えないよ」と、流れ星が想像より速く一瞬で流れることを驚いていました。



 それから、今年は蛍が見れたそうで、5匹捕まえたと言っていました。8月にまだ蛍が見れるなんて事は今までに無い事で、『?』と思いますが・・自然の中で蛍を見ることが出来たことは良かったです。



 息子は相変わらずとたわむれていたようです。はたから見ていた者達からはへの同情の声が聞かれましたが・・。

 また、行く前はセミに触ることが出来なかったのに、帰ってきたら「ボク、セミに触れるようになったよ!」と言っていました。少しずつたくましくなって来ました。



 都会でのマンション暮らしでは、花火も思うように出来ませんが、子供たちは田舎の家の庭で、思う存分花火を楽しんだようでした。o(^-^o)





2006年05月04日(木) 16:41

       息子の自然体験  

 

 ゴールデンウィークの今、息子は祖母と田舎に行っています。

    (そのお陰でこうしてパソコンの前に長く座っていられるわけですが・・。)

 

 私の田舎は東北なので、今頃は田植えの頃で、田んぼには水がはられ、おたまじゃくしが泳いでいます。夜になると、満天の星空のもと、うるさいくらいのカエルの合唱が聞こえてきます。



  今、息子は、家のまわりでカエルを捕まえては、ペットボトルに入れたり、テーブルに並べたりして遊んでいるようです。

 

 祖母と電話をしていると ・・・ 

   ペットボトルに紙を小さく切って入れ、「これは、えさ!」と言うので、

  祖母が「カエルは小さい虫を食べるんだよ。」と教えています。

  そして、近くに虫がいたらしく、「カエルが虫を食べた!」と叫んでいました。



 息子は、今、 『みつばちマーヤの冒険』の本  でしか知らなかった世界を、実体験しています。



     後日談  



 田舎から帰る日の朝、息子は「帰りたくない」と、大泣きをしてごねたそうだ。祖母の都合もあるのでむりやり連れて帰ってきた訳だが・・帰りたくないの言葉に・・母は喜ぶべきか悲しむべきか、ちょっと複雑な心境だ・・。

 よほど田舎が楽しかったのだろう・・と。加えて、普段は母の愛情に満足しているから、母から離れても寂しがる事もないのだろう・・と、前向きで自分勝手な想像をしていた。



 息子が帰ってきて話題にした事は、一番はカエルの事。

自分の指にカエルをつかまらせて、ゆらしていたらしい。

 「カエルにブランコさせたんだ!カエル楽しいってよろこんでたよ!」・・はぁ・?・・カエルも気の毒だ。

 そして、毎晩カエル入りのペットボトルをかかえて寝ていたらしい。寝た後にカエルは逃がしてもらったが、次の日にはまた捕まえられ、泥をボールの中できれいに洗い落された後、ペットボトルに入れられていた・・。



 カエルの次はてんとう虫。

 「紙に道路を書いて、てんとう虫を歩かせたんだ!もちろんてんとう虫もよろこんでたよ。」



 斬新な数々のアイディアで、田舎生活を満喫した息子でした。



 田舎に行く前に、「くまんばちがいるから、こわいから行かない。」と、言っていた。

「田舎はまだ寒いんだから、はちなんてまだいないよ。」と言って、田舎に行かせた。

・・帰ってきたとたん・・

 「ママのうそつき。はちいたじゃないか!」

 「えっ・・。いたの?」と私。

 「いたんだよねぇ。飛んで家の中まで入ってきてねぇ・・。」と祖母。

 「ごめん。ごめん。でも田舎楽しかったでしょ。」

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