いっしょに子育て しましょう♪

『小3までに育てたい算数脳』を読んで

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『小3までに育てたい算数脳』 高濱正伸著(花まる学習会代表・算数オリンピック委員会理事) 健康ジャーナル社より



この本は、2006年「アマゾン」教育部門で第2位の売上を記録したそうなので、皆様はもうお読みになっていらっしゃるかもしれませんね。



「 幼児期にできることには限界があります。・・・しかし、後からでは間に合わないものがあります。」

 

 「大きく分けて、‘見える力’と‘詰める力’というのがあります。

 ‘見える力’とは、‘図形センス’、‘補助線が浮かぶ能力’、立体の切断面や理科の天体などで求められる‘空間認識力’、手を動かして図や表を描きながら考える‘試行錯誤力’など。

 ‘詰める力’とは、やる気・集中力・精読力・要約力・論理力などです。」



 「特に、この見える力というのは実際の体験がベースとして絶対必要で、外遊びや体験そのものでしかなかなか伸びるものではないのです。・・・幼児の時に外遊びをしなかったら、いったいいつ、外で走り回ることができるのでしょうか。

 思考力、イメージ力の基礎を幼児の時築いておかなかったら、後から伸ばすことはできません。幼児期でなければできないことを幼児期に行ってきたかどうか。泣いたり、笑ったり、ケンカをしたりすることも含めて十全な幼児期を満喫してきたかどうかこそが、十年後に思考力の差になって現れてきます。」

 

それでは、これらの力を育てるためにどうすればいいのでしょうか。



 夢中になって遊ぶ中で上記の知性が育つそうです。

 どんな遊びでも良いが、時間を忘れるくらい夢中になれる遊びをする。一番良いのは、外遊び。自然の中で五感を使って、くたくたになるまで遊ぶことが良い。外で遊ぶことにより、危険を本能で察知する能力も養える。また、異年齢同士で遊ぶのも良い。



 それから、電車や車が好きで、マニア的に遊んだり、覚えたりするということをやりつくすことが大切。

 しかし、ゲームはだめ。もともと夢中になるようにつくられている。ゲームはマイナスになる要因が大きい。



子どものやる気を伸ばすのは親の言動と家庭環境である

・両親の精神状態が安定していること

・両親、特に父親が良質な遊びや笑いのセンスを持っていること



親たちのNGワード・行動

「何回言ったらわかるの?」

「この前だってそうでしょう」

「うちの子、ダメだから」

「バカじゃないの」

「テストがダメでも知らないわよ」

「お父さんに叱られるわよ」

「それじゃ、今日だけよ」

・言い間違いを放置する

・テレビを見ながら指示をする

・他の子と比較する



子どもを伸ばす生活術

・お手伝いをさせる

・叱る時は、しっかり叱る

・楽しむ姿を見せる



この本の後ろには、家でできる遊びが紹介されています。囲碁もお奨めだそうです。勉強として行うのではなく、遊びとして自然に楽しむことが子どもの意欲を保持するために大切だそうです。



「一番大事なことは、主体性です。自分でやりたいと思って、自分でやってみて、我を忘れて熱中し、失敗したら自分で何故だろうと考え、自分で教訓を引き出し、成功したら、間違いない自分の喜びとして満喫する。

お子さんの能力が十二分に育ち、素晴らしい仲間に囲まれて生き生きと毎日を楽しむ魅力的な人間として、将来に見事な花を咲かせることをお祈りしております。」ということが、書いてあります。『小4から育てる算数脳』という本もそのうち発売するそうです。



この本を読んで、『‘見える力’にそんなに個人差があるのか』と驚きました。

暖かくなってきたので、外遊びに付き合っていこうかなと思いました。

そして、昨日は高尾山に行きました。久々の自然で、子どもたちは楽しかったようです。トリックアート美術館も子どもには好評でした。



花粉症ぎみなのでマスク着用です・・・。

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小学4年生の現状

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2007年07月19日(木) 14:33

 次女のクラスは、個性的な子どもが多いのか、とても落ち着きがないクラスで、普段は授業中騒がしいことが多く、また注意しても効果が薄く、次女は時には風邪症状が無くても「頭が痛い」と言って帰って来る日もありました。「静かにして下さい」と注意をすると、今度は皆が次々に「静かにして下さい」と言い出すので「静かにして下さい」でますますうるさくなるんだと言うので、そりゃ困ったものだと思っておりました。



 先日は、その小学4年生の次女の保護者会でした。



 良い面は、「男女の分け隔てが無く、たとえ女子4人男子1人でも一緒に活動することができる」「係りの活動など、自分たちで工夫して次々と積極的に取り組むことが出来る」のだそうです。



 ただ問題は、「宿題をやってこなくても何とも思わない」「漢字練習などもただやればいいという態度で、丁寧にやろうとか字を注意して書いて覚えようという意識が乏しい」「悪いことをしても、‘ついうっかり’や‘思わずやってしまった’と言い訳をし、‘ごめんなさい’の言葉が出てこない」「失敗や悪いことをした時に目撃情報が無いと自分がやったと正直に言わないでとぼける」「社会科見学に行くと、自分が一番見える位置に行こうと場所取りに走り、自分が見たから次は友達と代わろうという意識が無い」「自分の思いを一番に通そうとするので友達とトラブルになる」「トイレのふたや手すりなどに足跡がある」「掃除中数人でトイレの個室に隠れ話をしている」「箒を上の階から地上に落とす」「図書室の手すりにぶら下がる」「掃除中先生がいないとけんかになる」「注意しても何度も繰り返えされ、効果がない」などあったそうで、普段の先生のご苦労がしのばれました。



 課題としては、「学習面は、全力でねばり強く取り組む」「友達関係は、友達の気持ちを考える」「集団の一員としては、きまり・マナーを守る」「個人の成長としては、過ちを素直に認める」で、友達と仲良くすることは楽しいということを学ばせたいとのことでした。



 これらの課題に対するこれまでの学校としての取り組みは、



 学習面は、放課後や休み時間の個別指導。

 友達関係・集団の一員の面については、問題が起きた時は、じっくり話し合う機会を作る。たとえ授業がつぶれたとしても話し合う。勉強よりも人間性としてこれらを養う・身につけることの方が大切。

学校生活の中で、生活の課題を常に意識できるように掲示物を具体的な言葉で書くよう工夫。毎週クラス遊びを実施し、友達と協力する楽しさを学ぶ機会を作った。

 個人の成長面は、自分の行動を振り返る‘生活の記録’‘今週を振り返って’を記載させ、主にほめるコメントを入れたり、人格を否定せず行為についての指導を行う。



 全教職員の目で、その場をとらえて指導をする。



 道徳教育にも力を入れ、人の心を思いやるような教材や日常的なマナーを考える機会にできるような教材を工夫したとのことでした。



 道徳教育の『母親とバスを待つ』という教材で、軒下に何気なく皆が並んでいたのに、子どもが一番に乗ろうとしたのを母親が引き止め最後にもう一度並びなおした為結局座れず、子どもはふてくされたが母親が怖い顔をしていた。「この母親はどうして怖い顔をしていたのでしょうか」という質問に、「雨にあたって風邪をひいたので機嫌が悪いのかな」と答えた子どもがいたと聞きました。

 たとえ小学4年生になっても、普段から人の気持ちを考えるということをしていないと、または親がきちんと状況説明やその時の人の気持ち自分の気持ちについてどう思うか思っているかを話しておかないと、本当に理解できないんだなって思いました。また、大人が当たり前に思っているマナーも子どもに伝わっていないものがまだたくさんあるかもしれないんだなとも思いました。

 

 掃除中のけんかの対応としては、先生がいなくてもちゃんと掃除が出来る子どもを子どもたち同士で選んで教室から遠い掃除場所に派遣し、そうでない子どもは先生の管理下で掃除をさせるようにしたそうです。今では派遣できる子どもも増え、掃除も静かにきれいに行われるようになってきているそうです。



 先生からは、家庭でも同じ方向で指導して欲しい。「子どもだから**でもしかたない」ではなく、「子どもだけど**できるようにさせたい」という考えで接して欲しい。夏休みや休日には、社会のマナーを学ぶ機会を少し意識して経験させて欲しいとのことでした。



 3人の子どもを公立小・中学校に通わせている中で、これほど子どもの問題行動を明らかにし、分析をして計画的に取り組んでくれた先生は初めてです。情熱をもって取り組んでもらえる良い先生にめぐり合えることは、本当にありがたいことです。(中学にいくと、「他の学校ではこんなことをしているのに・・」なんて言うものなら、「じゃ、そっちへ行けばいいんじゃないのか」と先生に言われこともあるらしく、自宅では長女は日々怒りまくっています)



 ・・でもまあ、それほどこのクラスはひどすぎたのかもしれません・・。親の前では思い通りにならなくても、家の外では他の人に迷惑をかけずにきちっと行動できる子どもに育てたいものですね。素直な裏表の無い子どもであってくれればそれが一番良いですが・・。



2007年10月29日追記

 さて、上記から3ヶ月が経ち、次女のクラスがかわったか?・・・。

 

 次女に聞くと、「何も変わってないよ。掃除の派遣制度だって、‘もうできますね’って先生が止めちゃったから、まじめにやる人は班に1~2人くらいで、大変なんだよ。しかも、誰かが問題起こすと‘クラス全体の責任です’‘やめなさいって言って止めさせないのも悪いんです’っていちいちクラス全員の前で怒るしさ。そんなの見てないんだから知らないっつの。何んでもかんでもみんなの前で怒りゃ良いってもんでもないよ。先生はこんなことしないようにって皆に教えているつもりかもしれないけど、それだったら‘こんな事がありました。皆さん気をつけて下さい’で良いんだよ。関係の無いことで時間とられてまで怒られてうざいったらありゃしないよ。問題起こした本人には、先生の怒りが分散するから、怒られても効果ないしさ。昨年の先生のように、悪いことした人だけ呼び出して怒れば良いんだよ。クラス全体が悪かった時だけ全体の前で起こるべきだよ。納得いかないものを怒られたって効果ないんだよ。しかも、いつもいつも怒鳴っているから、静かになるのは先生が怒鳴った後1分くらいだよ。」



「昨年の先生の時は、もう少し静かだった気がするけど。」



「そうかもしれない。先生、よい事をしたり、良く出来た時には、スマイルシールくれたしね。子どもだからそれに釣られたっていうのもあるかもね。男の先生だしね。」(この先生は今は5年生の担任ですが、5年生ではシールは使っていないそうなので、シールで効果がある学年というのもあるのかもしれません。)



「男の先生と女の先生って違うわけ?」



「そりゃ、違うよ。女の先生は生徒からなめられやすいんだよ。特に悪いことしているのを見ても怒らない先生はね。怒っているばかりでも、なめられるとはいかなくても効果はないけどね。」



「難しいのね」



「ま、うちのクラスのやつらが特殊なんだから、仕方ないよ。」





・・・このクラスを担任するのは大変そうです。・・・



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数日前に掃除をしていたら布団の下から次女の『時々日記』を見つけて一部分を読んで、大笑いしました。仕事に行く前だったので、後でちゃんと読もうかなと思っていて、昨日「日記見せてよ」と言ったら、今はもうどこかに隠されてしまっていて見ることができません。クラスのことも書いてありましたが、ご紹介できなくて残念です。



長女の家での姿も描かれていて、「どうせ悪口でも書いてんだろ」という長女の言葉に、「違うよ。お姉ちゃんの姿の良い所は良い所として、悪い所は悪い所として参考にするための記録なんだよ。」と答えるので、『その返答に座布団3枚』と思ってしまいました。長女は、「いつか次女に『にいちゃん、ぼく反省しきれません。』のような私を(姉)をネタにした小説でも書かれたらたまらないから、いつか燃やしてやる。」と言うので、これもまた笑ってしまいました。

 ちなみに長女は、学校では「どうしてそんなに怒らないの?もっと怒ってもいいだろう?」と他の生徒に言われるくらい、例えむかついたとしても穏やかな性格で過ごしてくるらしいのですが、家では「どうしてそんな些細なことでそんなに怒るの?」と笑ってしまうくらいキレやすいです。思春期だからとも思いますが、そんな姿をいつも見せられている妹としては、世の中をうまく渡っていく方法とは何ぞやともいうべきものを既に学んでいるとも言えるかもしれません。



 そうそう日記で1つだけちゃんと覚えているものがあります。



「お姉ちゃんが、‘今年のサンタさんのプレゼントは、**DVDプレーヤーがいいな’と言うのに、ママが‘そんなわけないだろ’と言った。私は、小学校3年の時からサンタさんなんていないって知っている。プレゼントを買うのはママなのだ。知ってはいるけれど、そう言ってしまうとプレゼントをもらえなくなるかもしれないので、このまま知らない振りをしておこうと思う。」



これを読んで、『昨年までだませていたのか。だませた方かもね。知らない振りを続けようとは賢いじゃないか。』と、思いましたね。



「教え上手はしつけ上手」「説明は一気に最後まで」など、子どもの学力向上のためのヒントが書いてあるサイトがありました。『お母さんのための進学講座』より



2007年11月03日追記

 記事「ほめ方」に、「次女のクラスに落ち着きがなくてよく叱られる子どもがいます」と書いてある子どもは、最近クラスで唯一次女が楽しく会話できるお友達になったらしいです。

 次女によると、‘次女の話を最後まで聞いてから自分の言いたいことを言う’という会話が出来るのは、今クラスではこのお友達だけなのだそうです。しかも話しも面白くて笑えるのだそうです。

 今でも週2回くらい、このお友達の話を専門に聞いてくれる先生が来るそうです。

このお友達は、こうした積み重ねによって、会話の仕方というものを身につけたのかもしれません。



 しかし、他のお友達はというと、次女の話題には「それよりも・・」と話題を変え、人の話を聞こうとする姿勢が無く、自分たちが話したいことを話し始めるのだそうです。

 『こういう身についていて当たり前と思われる能力が身についていないなんて、どんだけ?』と思います。家庭内におけるコミュニケーション不足でしょうか?



 それから、悪いことをして怒られている時に、「自分がわるかった。すいません」と素直に謝る子どもはいないのだそうです。皆、「自分は、やる気は無かったが、**くんがやたので、一緒にやりました。自分は悪くありません。」のように、自分は罪を逃れようとする・人に罪をかぶせようとする言い方をするのだそうです。

 『どういう論理だ?なぜにそう言えるの?』と思います。しかし、皆が皆そういう考え方をするので、クラスでは次女の方が‘変わっている’と言われているそうです。



 自分で調べたことを発表する授業の時、お友達のをそっくりそのまままねをしたお友達がいたそうです。先生に、どっちがまねをしたのかを聞かれ、まねをした子どもが「**君です」と平気でうそをついたそうです。まねをされた子どもは「ボクではありません」と答え、周りにいた子どもたちが「##君の方です」と言ったので、早期に解決したそうです。「普段は、まねされた子どもの方が怒られる機会が多いので、周りの子どもが言わなかったら、先生に信じてもらえなかったかもしれない。」というのが、次女の感想でした。



 『次女はよくがんばって、こんな状況にも耐えて学校に行ってるな』と思います。この前「転校する方法だってあるよ。別に転校なんて難しくないんだからさ」と言いました。「う~ん。そうだけど、先生たちとの関係をまた一から始めなきゃいけないのもきついよね。」と言っていました。



2007年11月06日追記

 「席替えをしたいという皆の希望に対し、先生が席替えはしないと言った。しないことは仕方ないが、その後に、‘あなた達のことは信用できない’と言った。それってひどくない?そんなこと言われたら、こっちだって先生のこと信頼できなくなるじゃんか!」という昨日の次女の話に、『例えそう思っていたとしても、児童に言ってはいけない言葉はあるだろう』と思ったのでした。



 先生の思いの中には、席替えをしたところでこのクラスが静かになることはないし、席の組み合わせによってはもっとうるさくなる可能性だってある、とでも思ったのかもしれない。けれども、それなら児童と一緒に考えて児童が静かになれるという席に替え、児童に静かにすることを再度約束させる機会にできなかったのだろうかとも思います。ま、それも大変ではあるので、その場は「考えておきます」でよかったと思います。



 親が子どもに言ってはいけない言葉や、夫婦がお互いに言ってはいけない言葉があるように、いくら腹が立っても先生が生徒に言ってはいけない言葉はあると思います。



 「音楽の授業の時、やっと人前で発表できるようになったお友達なのに、下手だからと皆が笑い、注意するべきはずの先生まで笑っていたんだよ。は~?だよね。また発表できなくなったらどうするんだよ。先生なのにそんなこともわかんないのかよ。」と言っていたこともあります。



 親であれ、教師であれ、職場の上司であれ、人を育てるという事に係わる人たちは、自分が育てる‘ひとりひとりの成長のため’をまず第一に考え実践する必要があると思います。抽象的ですが、実はこれが難しくて、育てられる側の問題行動や苦情がある場合は、常識(良い悪いの判断力・他)や人間性(やさしさ・おもいやり・気づく力・上手な言葉づかいや態度・他)を高める努力が必要かもしれません。



2008年2月7日追記

自己中心的な大人の増加??と自己中心的な子どもの増加?

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 次女の日記に最近の学校での出来事が6ページにもわたって書いてありました。

 

 「学芸会の練習をするのに、1話・2話の練習を朝遊びをやらずにその時間を使ってやってはどうかという提案を先生がした。そうしたら、既に練習を終えている3話の出演者が反対をした。自分たちは遊びを優先したいと12名全員(うち女子7名)がそういう態度をとった。



 『どういう神経をしているんだ?人に対する思いやりとか、学芸会を成功させようとかいう考えは無いのか??自分が良ければ、自分だけが楽しめればそれで良いのか?・・・』・・ということが書いてありました。

 

 『自己中心的な子どもが増えたのか』と思います。 

 確かに、遊びたいという気持ちを持つことはあるでしょう。しかし、それを口に出すことを恥ずかしいと感じる必要があるのではないでしょうか。集団の中において自己中心的である事は、恥ずかしいことであるということを親は子どもに教える必要があるでしょう。



 その後、先生がひとりひとりに「どういう気持ちで遊ぶことに賛成したのか。今はどう思うのか。」を聞いたところ、「自分のことしか考えていなかった。すいませんでした。」と言ったのは2人だけだったそうです。

 

 最近、ネットのニュースでも、自己中心的な大人の記事を目にしました。



学校に対し理不尽な要求やクレームをする保護者以下<産経ニュース2007.11.7 03:37>より



「運動会の組体操のピラミッドで1番上に立つことを楽しみにしていたのに、はずされた」と小学生の保護者がクレーム。「1番上に立った児童より運動能力が上ではないか」とも抗議したという。これについて学校側では、「運動能力が上だからこそ、ほかの児童を支える側にたってほしい」などと保護者と児童を説得したという。



また、小学1年の男児の母親が「集団登校の班長が遅れてきたり、登校の態度が悪いので学校は休ませる」として1週間、児童を休ませたケースを紹介。1年生と6年生の歩調が違うことなどに原因があったため、学校側が集団登校をしている児童を全員集めて話し合いを持つなどして解決したという。



さらに、「けんか相手の子どもを転校させろ」(小学生の保護者)と抗議があったケースや、「うちの子の安全を100%保障しろ」(中学生の保護者)というクレームも紹介している。



首都圏の小学校で昨年、こんなことがあった。



 6年生の児童が友達とけんかした。たたかれて鼻血を出したことに父親が激怒、校長室に怒鳴り込んできた。父親はテーブルの上に座り、校長の胸ぐらをつかんで「学校の責任だ。傷害罪で告訴する」と迫った。



 騒ぎを聞いて集まった担任らは「原因は双方にある」などと説明し、今後は厳重に指導すると約束した。だが、父親は聞き入れず、「お前ら全員辞めさせてやる」と廊下にまで響きわたる声で罵倒(ばとう)した。



 結局、父親に押し切られる形で警察が呼ばれ、教室で現場検証まで行われた。たかが子どものけんかにと、警察も困惑気味だった。「最近の親は、いったんキレると何をするか分からない」と、事情を知る学校関係者が肩をすくめた。



 こんな親は決して珍しくはない。今年8月、首都圏から十数人の小中学校教員に集まってもらい、教育現場で今、何が問題になっているのか、匿名を条件に語ってもらった。複数の教員が真っ先に訴えたのは、無理難題を押しつけて学校を混乱させる、一部の親の存在だった。



 「うちの子をリレーの選手に選べと、脅迫的な電話を1週間もかけ続ける」「校庭の遊具で子どもがけがをしたから、遊具をすべて撤去しろと求める」



 全国の教員らでつくる研修組織「TOSS」の向山洋一代表は、学校に理不尽な要求を突きつける親のことを“怪物”にたとえてモンスターペアレントと呼び、深刻さをこう語る。   「先生を先生と思わず、抗議のための抗議をする親がいる。『校長を土下座させた』『担任を辞めさせた』などと吹聴することもある。モンスターペアレントが一人でもいれば、その学校は崩壊してしまう。」



こうした親に振り回される教員の心労は大変なものだ。文部科学省の調査では、2005年度にノイローゼなどの精神疾患で学校を病欠した公立小・中・高校などの教員は過去最多の4178人。前年度より619人増え、10年前の3倍に達した。この多くが、保護者対応に苦慮していたとみられる。



 昨年6月、都内の公立小学校の新任女性教師=当時(23)=が自宅で自殺した。



 「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。教師がノートに書き残した遺言だ。教師は2年生クラスの担任を任されていた。関係者によれば、死の数日前、親しい知人らに保護者対応で苦しんでいることを打ち明けた。宿題の出し方などに不満をもつ親がおり、執拗(しつよう)な抗議を受けていたというのだ。



 クラスと家庭を結ぶ連絡帳には、この親からの苦情がびっしり書き込まれていた。「あなたは結婚や子育てをしていないから経験が乏しいのではないか」。人格否定の言葉まであった。



 教師が「すみません」と書くと、何がすまないのか具体的に書くよう求め、教師が説明すると、消しゴムで消して「もういい」と突っ返すこともあった。連絡帳を見た先輩教師がその内容に驚き、自ら親に電話してたしなめるほどだった。



 校長や教頭の対応にも問題があった。悩んでいる教師に対し、親に電話で弁明するよう求めたり、誠意をみせるため配布物を各家庭に直接届けるよう指示した。ストレスは増えた。



 関係者は「通常の抗議の枠を超えた親の言動が、教師を追いつめたことは間違いない。校長も守ろうとしなかった」と打ち明ける。



 親による先生への“いじめ”がなぜ、これほどまでに横行しているのだろうか。



強まった教育への「消費者」意識



 理不尽な親が目立つようになった背景はなんだろう。プロ教師の会を主宰する日本教育大学院大学の河上亮一教授は「『国民』を育てる、という公教育の基本理念を見失ってしまったことが最大の要因ではないか」と指摘する。



 河上教授によれば、今の親たちが中学生だった1980年代、学校を取り巻く環境が大きく変わった。個人主義が声高に叫ばれ、制服や校則に反対する“学校たたき”が盛んになった。規律や権威といった公教育には欠かせない要素が次々に失われていった。



 90年代以降になると、親が学校に対して「消費者」意識を持つようになり、逆風は一層強くなった。教育サービスという言葉が浸透し、高い税金を払っているのだから、教員は親のいうことを聞いて当然とする意識もみられるようになった。代わりに、学校や教師に対する感謝が忘れ去られていった。



 こうした時代を過ごした今の親が、「消費者」意識を暴走させたのがモンスターペアレントだと、河上教授はみる。



 さらに問題は、理不尽な親の行動に周囲が引っ張られてしまうことだ。



 数年前、都内の小学校教員が新聞を使った授業をしようとしたところ、ある児童がスポーツ紙を持ってきた。その中に成人向けのページが含まれていたため、教員は使用を控えた。



 そのことを曲解した親の一人が、日ごろの不満もあって「あの教師は変態だ」などのメールを複数の親に流した。



 このことが児童にも伝わった。悪乗りした児童が授業中に「変態先生」と大声を上げたため、教員は児童の頭を軽くたたき、静かにするよう注意した。すると今度は「暴力教師」とのメールが一斉に流された。



関係者によれば、この教員はそれまで、指導力が高いと校長からも信頼されていた。ところが一部の親のメールがきっかけで、児童にあなどられても強い指導ができない“ダメ教員”になってしまった。教員は結局、自ら希望して別の学校に異動した。



 親が身勝手な要求を行い、教員が萎縮(いしゅく)するようになれば、それは学級崩壊につながり、子どもたちに悪影響を及ぼす。



 今年6月以降、東京都港区教委や北九州市教委などが、公立学校で保護者との間にトラブルが生じた際、校長が法律上の問題などを弁護士らに直接相談できる態勢を整え始めた。だが、こうした取り組みはまだ緒に就いたばかりだ。



 公教育は、秩序ある社会生活を営むための学力や規範意識を身につけさせるものだ。昨年12月に改正された教育基本法の前文にも「公共の精神を尊び」という文言が追加された。こうした当たり前の意識が社会全体に欠けていることは否めない。「公共の精神」を考えようとしてこなかったつけは大きい。(川瀬弘至)



 私は、この問題は、親という立場だけの問題であるとは思いません。その人がたまたま親という立場で自己中心的な発言・行動を起こしたということで、例えばその人が患者さんであるならばモンスターペイシェント、お店のお客さんならモンスターカスタマー、職場の上司ならモンスターボス(パワーハラスメント…職場いじめ)になる要素を持った存在であろうと思います。単純に個人の人間性の問題であると思います。自己中心的な大人が増えたと同時に、価値観の多様性容認の風潮、教育や医療などのサービス化の風潮が、個人の価値観にそぐわなかった時に、容易に苦情を言えるようになったことで、いろいろな場所においてモンスターを生み出しているように思います。



 ‘苦情’ということで言えば、親は、言うことが自分の子どもにとって本当に利益のある事なのかを冷静になってあらゆる角度から考えてみた方が良いと思います。上記のニュースの事例においても、通常の神経の持ち主の子どもであるならば、子どもはその後、学校の中で恥ずかしい思いやいたたまれない思いをするのではないでしょうか。



 確かに、学校の先生にだって『??』と思える人だっています。この夏秋我が家も経験しました。「縫い目が気に入らないからと、何度もやり直しをさせたり、好みの色使いにしないとやり直しをさせ、あげくの果てには提出期限を守らないと怒り散らす家庭科の教師」『中3の受験生にそこまで要求するの』『教師であるならば生徒の個性や芸術性を尊重するべきではないのか』と思います。でも、このような先生に苦情を言ったとしても、おそらくこちらの不利益にしかならないように思います。その先生に身についた価値観や自己中心的な言動は容易には変えられないのです。その先生の言動が他人から見れば常識的ではないということをその先生は理解できないかもしれないからです。子どもは、親の言動を常識ととらえて育ちます。しかし、社会の中でいろいろな人と接していかなければならないので、…自分の家族は、自分や子どもは、モンスターにならないように気をつけたいものです。

 

 以下の言葉からも読み取れるように、昔にも自己中心的な人間は存在し、ややもすれば楽な方向に流されやすいのが本性であるのかもしれません。人間性のレベルを高めたいと思えば、自分を律することが必要と思います。

 鎌倉幕府の中枢にいた北条重時の言葉

「いかにも人(の)ため世のためよからんとおもひ給ふべし。行く末のためと申也(もうすなり)。(中略)我が身を思ふばかりにあらず」(人のため世のために、よきことをしようと思いなさい。それが、これからのためになるのだ。自分のことばかり考えていてはいけない)

【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(9)「勉強忍耐」乃木大将に学ぶ 2007.11.15 03:23より

 

 いつもコメントを書いてくださるtomoさんのブログにもこんな大人が登場しています。2006年08月26日めだか」



普段の生活に便利さや高速化が進み、「待てない」大人や子どもが増えていることも、自己中心的なモンスターを増やしているかもしれません。



【溶けゆく日本人】快適の代償(1) 待てない人々 数分間でイライラ 2007.11.13 08:11より



 常に携帯電話でメール交換。待ち合わせでも不安を抱くことはなくなったが…=神奈川県内

 週末の夕方。東京都内の広告会社で営業を担当する佐野裕美子さん(23)=仮名=は、仕事を終えると気の合う友人2、3人に携帯メールを送る。



 「いま何してる?」



 送り終わると、すぐに返信確認。1分、2分、3分…何度も操作を繰り返す。返事が来たら食事に誘う。5分も返事が来なければイライラする。「早く決めたいから、すぐ返信がほしい。自分が待てなくて嫌な思いをしているので、わたしはいつも即レス(即答)です」



 仕事の合間も携帯メールのチェックは欠かさない。佐野さんはそんな自分を見て思う。「(返事が来なくてイライラするのは)自分勝手だし、ケータイに縛られているようでかっこ悪いかも…」



 便利なはずの携帯電話を手にして、イライラと格闘するのは彼女ばかりではない。



 「私用の携帯メールの返信が気になる。地下鉄に乗れば一駅ごとに『センター問い合わせ』をしてしまう」(24歳の女性会社員)、「返信が来ないで5分過ぎると貧乏ゆすりが始まる」(20歳の大学生)-。



 小中学生は「15分以内に(メールを)返さなければ友達じゃない」などと言う。情報モラルサイト「エンジェルズアイズ」の遠藤美季代表は、そんな言葉に違和感を抱く。「返事を待てずに次々と別の子にメールを送り、最初の相手への用件を忘れてしまっていることもある。落ち着いて時間を過ごすのは、格段に下手になったでしょうね」



 シチズンホールディングスが平成15年、首都圏のビジネスパーソン400人を対象に行った「待ち時間」に関する意識調査。通勤電車の遅れが「5分」でイライラするという人は10年前の17・6%から56・6%へと急増した。加速する“せっかち度”が各所で摩擦を引き起こす。



 懐石や鍋のコース料理がメーンの神奈川県内のある日本料理店。落ち着いた雰囲気が売りだが、店長(33)は「お客さまと店側の時間意識のズレ」に頭を悩ませる。前菜に始まりメーンの料理を提供するまでの所要時間は「昼10分・夜15分」と決めている。しかし、時間内にスムーズに料理を出しても苦情が入る。テーブルセッティングのための1、2分の時間すら待てない客もいる。受付で「少しお待ちください」と言うと、「待てるか!」と声を荒らげ、トイレに入った連れの女性を残したまま帰った中高年男性もいた。



 哲学者の鷲田清一・阪大学長は『「待つ」ということ』(角川選書)の中で、「ものを長い眼で見る余裕がなくなった」と高速化が進む現代社会の病理を憂えた。



 「子どもの成長を親がじっくり待てない」。東京都内の私立保育園。30年近いキャリアを持つ保育士がそう感じるようになったのはここ10年ほどのことだ。



 3歳児に母親の絵を描かせると、首がなく顔とスカートが直結した絵を描く子も少なくない。そんなとき、以前なら「みんなと描いて楽しかったね」などと温かく見守る親が大半だったが、最近は様子が違うという。「横から『そうじゃないでしょ』といって子どもをせかす。せかされた子どもは萎縮(いしゅく)して弱々しい線で小さな絵を描いてしまう。じっと見守っていれば、じきに普通の絵を描けるのに…」と保育士。情報が氾濫(はんらん)し、他の子どもと比較して焦る親が増えたのだという。


 

 国内のインターネット利用者が初めて1000万人を突破した平成9年。博報堂生活総合研究所は「直訴する社会-待てない人々・触れたい人々」というリポートで、利便性の向上を指摘する一方、すぐ結論に飛びたがる▽我慢強さの低下-といったマイナス面を挙げ「待てない人々」の増加を予見した。



 それから10年。コミュニケーションツールはさらに高性能になり、「宅配便の配送状況やバスの待ち時間もネット上で確認できる。漠然と何かを待つことはほとんどなくなった」と、リポート作成に携わった知識創造工房ナレッジ・ファクトリーの林光代表は話す。



 目白大学の渋谷昌三教授(社会心理学)は、そんな「待つ必要がない社会」の到来を複雑な思いで見つめる。「パソコンや携帯を駆使して即座にほしい情報が引き出せる。だから、物事がさくさく運ばないと耐えられずに、暴力的な言動に出てしまうこともある。『待たせない』サービスに慣れすぎたがゆえの皮肉な現象かもしれません」(海老沢類)

                   ◇

【メモ】シチズンホールディングスは平成15年に首都圏のビジネスパーソン400人を対象に「待ち時間」意識調査を実施した。各項目で、最も多くの人がイライラすると回答した待ち時間の“リミット”は次の通り。

・総合病院30分

・通勤時の電車の遅れ5分

・スーパー、コンビニのレジ3分

・パソコンが立ち上がるまで1分

・インターネットのコンテンツにつながるまで10秒



いくら世の中や生活が便利になったとしても、子育ては、あせってはいけません。親があせると子どもの心にねじれが生じます。子育ての援助の効果は、すぐには出ません。今やってあげていることは、子どもがもう少し大きくなった時や子どもが大人になった時に効果が現れたり、役に立つものだという考えを持って、いっしょに子育てをして行きましょう。o(^-^)o



『待ちの姿勢』



2008年2月5日追記

 子どもがキレやすいという現象は、キレる大人の増加に影響されているもののようです。産経ニュース【溶けゆく日本人】蔓延するミーイズム(1)キレる大人たち 増え続ける“暴走” 2008.2.4 08:08



2009年4月14日追記



『「育てにくい子」と感じたときに読む本』 児童精神科医佐々木正美氏著 2008年7月主婦の友社発行には、「自己中心的で幼い人は、乳幼児期に大切なものを得ることができなかった人」と書いてあります。



「人は誰しも、乳幼児期、児童期、青年期、壮年期、中年期、老年期という順序で成熟していきます。そして、その時期その時期に与えられるべきもの、すべき経験というものがあるのです。成熟に飛び級はありません。もしもその時期に積み残した課題があると、それが後々の発達に影響をもたらします。それは子どもだけに限りません。



乳幼児期の問題を解決できないまま老人になると、周囲の人に文句ばかりを言い、不満があると人のせいにし、家族からもうとまれるような存在になります。



人間の育ちの中で、最も大事なのは乳幼児期です。この時期に誰かに全面的に受容されることが、将来の成熟という意味においてとても重要です。もし乳幼児期に受容されなかったとしても、成長の過程で親や親に代わる人、恋人や配偶者に愛情を注いでもらうことができれば、そこで愛情を補充して成熟することができます。反対に、年齢を重ねても十分な愛情を与えられず、人との関係にやすらぎを感じることができなかった人は、老齢になってもなお自己中心的で幼いのです。



人間関係に不満と絶望を感じている人は、人には優しくはなれないのです。不足した愛情を補ってあげることが必要です。」



自己中心的な子どもや大人にしないためには、乳幼児期の家族の愛情たっぷりの育児が大切のようです。

子どもはどこでつまずくか・・

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 中学校卒業前の奈々さんが「人生をやり直すことができたら、もう1度、小学校からやり直したいなあ。小学校4年と6年が悪かったから」と真顔でポツリと言う。茶髪、アイシャドウ、ピアス、ミニスカート、ルーズソックス。そんな格好をしていても、心の奥底に「あの時、まじめにやっていればもっと違った生き方ができたかもしれない」「学びたかった」という悔根の情を持っている。小学校ですでに自信をなくし、意欲をなくしたと語る彼女の内なる声を聞いて心が痛んだ。

「どうして学校に来なかったの?」「勉強なんてつまんにゃあ、・・・」

「勉強が好きな人なんてあまりいないよ。今からだって・・」「だって、高校へ行かないから、勉強いらないもん」

 小学校からやり直したいと言いながら、今を変えられない。私たちが、子どもの言葉に表せない苦悩に心を砕き、必要な時期に必要な援助をしていたら・・その日、気が重かった。

 本来、学校という場所は、子どもが様々な人やモノや事と出会い、学ぶことの意味を見出し、苦しいことや嫌なことから逃げ出さないで、最後まで何かを学び取ろうとする力や自立心をはぐくみ育てる場である。それなのに、教師も親も受験学力のステップアップだけを願い、自分や他者に心を砕き、市民性のある探求的学び手をはぐくみ育てていなかった気がする。・・・

 これは、『公立中学校の挑戦―授業を変える・学校が変わる―富士市立岳陽中学校の実践』 編著者 佐藤雅影氏・佐藤学氏 (株)ぎょうせい 2003年初版発行 の「はじめに」に書かれた佐藤雅影校長の一部の文章です。



 『子どもはどこでつまずくか―9・10歳は飛躍台』子どものしあわせ編集部・編 草土文化1985年初版発行の本は、何人かの教育者が、その現場で感じた事や調査研究の結果から、子どもの勉強のつまずきは、小学校の3・4年生で起こっていると述べています。



 つまずきは、特に算数と国語で、算数は九九や分数が入ってくる頃から起こりやすく、国語は文章を読み取る力が弱いために、その弱さが算数にまで影響するということが書いてあります。

 乳幼児の頃から童話に親しみ、親の読み聞かせから、自分で字が読めるようになる小学校2~3年頃には徐々に、自分で本を読む意欲が持てるような子どもに育てていきたいですね。

 乳幼児の頃から読み聞かせをすると共に、普段から親が本を読む姿を子どもに見せることが大切ですね。

 それから、小学校4年生頃は、親が子どもの算数の理解力をきちんと把握し、不足があればいっしょに勉強をし、やさしく丁寧に教えるという作業が必要のように思います。



 小4年生という時期は、まだ、自分の思ったこと、嫌だったこと、嬉しいことを素直に言ったり、本当は文章に書きたくないことも作文や日記に書くことが出来る時期なのだそうです。自分を素直に出せる年齢なのだそうです。しかし、5年生になると、自分の弱い面を直視することを恐いと感じるようになり、できれば見ないで通りたいと思うようになるそうです。人にも気づかれずに過ごしたいと考えるようです。これが自己確立への正常な過程なのだそうです。ですから、多分この時期に、学力の遅れをなんとかしようと親が奮起すると、子どもと衝突してしまって大変かもしれません。でも、やらないわけにはいかないと思いますので、小5年生の気持ちを理解し、やる気を失わせないように心掛けて欲しいと思います。



 変身・飛躍できる9・10歳



 「・・人間、自分が認められないと、自信や意欲を失うものである。この時期の子どもはなおさらである。



身体的成長の面で脳の組織がほぼかたまる時期にある子どもは、思考面でも論理的になり、理屈っぽくなる。親がちょっと変なことを言うと、必ずそこを指摘し、徹底的につっこんでくる。事実が見えてくるから正義感も強くなる。未熟で大人から見れば、矛盾もあり、論理の幼さもあるが、大人が上から押さえつけようとすれば、せっかくの成長も抑えられてゆがんでしまう。たたく、怒鳴るは逆効果。なぜかを納得すれば、積極的に行動するエネルギーが沸騰しているのがこの時期である。・・」 (当時、東京都立川市立第3小学校養護教諭 荒川益子氏)



 「碁を始めたのは、小学校4年の頃だった。・・

4年の頃、身体が弱かった僕を鍛えようという両親の考えで、柔道に通いだした。けっこう楽しくて3ヶ月ほど毎日通った。しかし、ある日の帰り道、子ども同士で柵を飛び越そうとした拍子に足をひっかけて倒れ、腕を折ってしまった。柔道はできない、遊びたい盛りなのに遊びもままならず、・・。当時我が家の2階には碁会所があり、お客さんに教えてもらいながら碁をやりだしたのが動機だった。・・

 プロになる人たちは、皆5・6歳から始めている。僕は、・・始めるのが遅い方なのだ。それでもプロになれたのは幸運だった。・・

 両親は、僕をプロにさせてもいいところまで行くとは考えていなかった。学校のできも悪いから、ああいうことをやらせても無理だろうという感じを抱いていたにちがいない。・・

 ただ僕自身は、学校の勉強よりはおもしろいと感じていた。碁は大人と五分でやる。子どもの頃は伸びが早いから、大人をどんどん追い抜いていく感じなので、ますますおもしろくなっていく。例えばすぐ上の兄貴と五分以上に戦うと気持ちが良い。他は何をやっても勝てないのだけれど、これだけはというものがあるから自信がついてくる。・・



 両親は、成績が悪かった僕に、勉強や学校のことをとやかく言わなかった。

それよりも、僕の良いところは、まじめなところだとか、うそをつかないとか、そういうところをほめてくれた。欠点を言えばきりがないわけで、子どもに対して欠点を言わないほうが良いのではないか。



  今は、回りがあそこの子は優秀だからとか、あそこまで追いつこうとか言い過ぎる。

数いれば優秀な人はたくさんいるわけで、いちいち比較されたのでは子どもはたまらない。僕の場合は、無理な期待が無かったことを感謝している。」(当時、囲碁9段・天元 加藤正夫氏)

連絡帳という名の育児記録・次女のけんか

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      連絡帳という名の育児記録 



 小2になると、生活の学びで、自分の成長の記録を作るという事をする。

何歳でこういう事ができるようになったとか、ああいう場所にでかけたとか、こんな出来事があったとか、親に聞いてくるように言われる。

 こんな時は、保育園の連絡帳があって良かったなと思う。毎日書くのは大変だったし、一度に3人分書いた日々もあったが、今となってはお宝である。

 その記録作りで、次女はこう書いていた。「保育園でお友達とささいな事で毎日けんかをした。友達はいつも泣くので、おこられるのはいつも自分だった。ちくしょうと思うが、でもけんかはやめられなかった・・。」

 次女は今も時々友達とけんかをしてくる。でもすぐに仲直りをする。保育園での経験が生かされていると思う。 



 保育園の園長先生も私が13年お世話になっている間に、お2人代わられた。初めにお世話になった先生のこんな言葉を覚えている。

 「自分の息子が、思春期で反抗してぐれそうになった時、だまって保育園の時の連絡帳を机の上において置いた。息子は、ぐれずにまっすぐに育ってくれた。自分が、親や多くの人にどんなに大切に育てられたのかを、連絡帳から読み取ったのだろう。」と。  



    次女のけんか 



 しかし、次女のけんかや友達との関係は、私の常識を超えていて、私が理解しにくい部分もある。

 例えば、「なまいきだから嫌い」と言われたのに、言ったその子はその後も何回か我が家に遊びに来ている。普段は仲良く遊んでいると思えば、クラスが違うからという理由で仲間にいれてもらえない時がある。悪い行為を注意したのに話を聞かず、「うるさい!・うざい!」とか言われ、口げんかになる。でもいずれの場合も、次の日には何事もなかったような友達にもどっている。

 

 私だったら、嫌いと言われたら、もうその子とは遊ぼうとは思わないし、嫌いと自分が言う位の子とも遊ぼうとは思わない。・・なまいきな所が嫌いという意味だったのか・・ それだったら‘罪を憎んで人を憎まず’の精神が身についていて素晴らしいと思うのだが・・。



 長女に言わせると、「次女の友達は、次女を含めてキレやすいだけなんじゃないか・・。だから言葉をきちんと考える事も無く発してしまう。お互いに悪気もないから、後日は何事もなかったように出来る。」だそうだ。

 同じメンバーならそれで通じるかもしれないが、中学に行ったらそうはいかない。‘言葉は選んで使う’が、小3の次女の今後の課題である。



 それから、長女の時も思ったが、小3位になると‘仲間はずれになる事’は、いじめではなくても必ず経験する事だと思う。

 そんな時は、こびを売ってまで仲間に入る必要はない。同級生がいなかったら、他の学年の子の遊びに入れてもらったり、または本を読むなど、ひとりでも過ごせるような精神力が必要だ。

 ・・その為には・・幼児期の自然体験や、本の読み聞かせなどで得た経験や、親の毎日の勇気づけの態度決してがんばれという声掛けではありません。お間違えのないようになどが大切で、子どもの精神力の基盤になるのかなと思う・・。(幼児期に大切な事・励ましの仕方・参照





2009年6月追記



最近次女に、「保育園に迎えに行くたびに‘今日もけんかして怒られていました’って報告受けていたんだよね~。だけど、あなたは一度も保育園に行きたくないって言った事なかったね~。」と言うと、



「あ~。もうけんかは日常茶飯事だったんだよ。だけどあれはいつも友達の方から仕掛けてくるんだけど、いつも向こうが泣くから結局は私が怒られてさ。だけど、言い訳するのも面倒だったから、‘はいはい’って感じで怒られてたんだよ。保育園の先生の怒り方も‘こらこら’みたいな感じだったから、別に保育園行きたくないなんて思わなかったんだよね。当時の保育園の先生怒り方が上手かったんだよね。」



こういう話を聞くと、子どもっておもしろいなって思います。

o(^-^)o

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